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Vol.18

今回は、統括部 津端が担当します。
電話屋さん

昭和46年高校2年生の時に、人生を決定づける会社見学が有りました。
場所は日本電信電話公社金山電話局。参加人数は忘れましたが、10名前後と記憶しています。
電話局といえば、「もしもし、もしもし」のフレーズしか浮かばず、あまり興味も無く軽い気持ちで参加しました。
そして、機械室(交換機室)に入室した瞬間に、カシャカヤカシャーン、カシャカシャカシャーンと軽快でリズミカルな音が聞こえてきました。
それは大量のリレーが規則正しく動く音でした。クロスバー交換機との最初の出会いです。圧倒されました。
次に目に入ったのは、薄黄色の防塵服(?)を着用した数名の技術者が、交換機の周りで作業をしていました。
係りの方が説明してくれるのですが、目は技術者に釘付けです。
なぜかは分かりませんが、たぶん「かっこいいなー」と思ったのです。電話屋さん一人誕生の瞬間です。
しかし、それからが大変でした。学科は問題ない(神に誓って)のですが、身体的な問題が発覚しました。色の問題です。(変な病気ではないですよ)
色弱です。一箇所の病院では信用できず、二箇所で調べてもらいました。残念ながら、電話局は遠くなり、電話屋さん誕生が難しくなりました。
身体検査呪ってやるぞと思いつつ、ある会社を知り、採用試験を受けることにしました。
試験は面接だけです。本当ですよ。採用通知、逆転で再度電話屋さん誕生です。
しかし、色弱は治りません。入社後は、荷物運びと掃除当番の連続ですが、ついにケーブルを触るときが来ました。赤青緑、もう最高です。交換機に触れます。
しかし、意見が合いません先輩と色が。赤色=茶色 緑色=何色、パニックです。結線違いの連続です。毎日怒られてばかりで電話屋さんピンチです。
そういえば、中学生の時にピーマンの静物画を描いて、美術の先生に褒められ評価が斬新でした。パプリカではなくピーマンは緑色です。
しかし、描いた絵は先生曰く「黄色で斬新ですね。」でした。
なるほど。色合わせが必要と気付きました。わかれば簡単、1年ほど解読(?)先輩との色色問題は解決です。
そして、その日が来たのです。ある銀行の桜山支店40回線のクロスバー交換機の工事主任です。
交換機の電源を入れ、受話器を上げます。カシャカシャーン、カシャカシャカシャーン。昭和46年に聞いた時よりも軽やかです。
入社してから40年 電話屋さんと呼ばれる事は無くなりました。現在情報通信の技術はすごいスピードで進化しています。
私の机の上には、昔の600型黒電話と、IP多機能電話機がありますが、当然両方使えます。
これからは今以上に音声系、データ系、映像系が一体となり、私たちの生活をサポートすると思いますが、これからもスピード(わが社のスローガンですよ)に負けない電話屋さんで在りたいと思います。

千代田便り

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